三笠宮崇仁親王殿下の
レクリーションへの関わり

2016年(平成28年)

三笠宮崇仁親王殿下が、 2016年(平成28年)10月27日午前8時34分、聖路加国際病院において薨去(こうきょ)されました。

崇仁親王殿下は、戦後すぐにフォークダンスの普及に取り組まれ、全国レクリエーション大会の開催にも力を尽くされました。
昭和26年より日本レクリエーション協会の総裁を務められ、平成2年より名誉総裁、平成18年からは名誉顧問として日本レクリエーション協会をお支えくださいました。

崇仁親王殿下のご尽力に深く感謝し、謹んで哀悼の意を表する次第であります。

日本のレクリエーション運動を牽引

1947(昭和22)年、日本レクリエーション協議会が発足し、翌1948(昭和23)年に財団法人日本レクリエーション協会が設立されました。

三笠宮崇仁親王殿下は、1949(昭和24)年に、日本各地でフォークダンスの普及を行っていたW.ニブロ氏(進駐軍民事部所属)主催のパーティに招待され、それ以降、フォークダンスの普及に取り組まれました。

また当時、日本で「レクリエーション」という言葉を知らない人が多いなかで、その社会的な意義や重要性を広められ、1950(昭和25)年に北海道(帯広)で開催された第4回全国レクリエーション大会に大会総裁として初めてご臨席され、1951(昭和26)年に日本レクリエーション協会総裁に就任されました。

その際、協会の法人組織としての基本財産の窮状を心配され、当時5万円の寄贈を賜って基本金に加え、法人としての基盤を支えていただいたというエピソードも残っています。

笠宮崇仁親王殿下

崇仁親王殿下は、1990(平成2年)に名誉総裁になられるまで、毎年の全国レク大会にご臨席され、開会式においてお言葉をいただきました。大会の中では、フォークダンスの輪に加わり、参加者とも積極的に交流をしていただきました。

崇仁親王殿下の日本のダンス界への深いご理解と発展へのご協力に対しては、1980(昭和55年)に、世界ダンス界の“オスカー賞”ともいわれる「カール・アラン賞」が贈られています。

崇仁親王殿下は、2006(平成18)年、すべてのご要職から退いた後も、日本レクリエーション協会の名誉顧問としてご就任いただいておりました。

とても親しみやすく接してくださった崇仁親王殿下は、時には地下鉄に乗られて日本レク協会事務局にお出でになり、職員を驚かせました。その一方で、常に日本のレクリエーション運動の正しい発展をお心にかけていただき、特にレクリエーション運動の中枢として期待されるレクリエーション指導者や、日本レク協会職員に対して、厳しく、また温かな励ましのお言葉をかけてくださり、見守ってくださいました。

三笠宮崇仁親王殿下のレクリーションへの関わり

昭和20年代

1946年(昭和21年)

長崎県で、W.ニブロ氏の指導でスクエアダンス講習会はじまる

1947年(昭和22年)

第1回全国レクリエーション大会を石川県で開催
日本レクリエーション協議会設立

1948年(昭和23年)

財団法人日本レクリエーション協会設立

1949年(昭和24年)

宮様スキー大会で、ニブロ氏がスクエアダンスを指導
高松宮、三笠宮両殿下参加される(札幌)

1950年(昭和25年)

宮様スキー大会で、ニブロ氏がスクエアダンスを指導
高松宮、三笠宮両殿下参加される(札幌)

1951年(昭和26年)

三笠宮崇仁親王殿下、日本レクリエーション協会総裁に奉戴

1952年(昭和27年)

文藝春秋・秋増刊号に、三笠宮崇仁親王殿下の「スクエアダンス及びレクリエーションに関する文章」が掲載される

1954年(昭和29年)

都道府県及び5大都市レクリエーション協会会長会議開催
三笠宮崇仁親王殿下のご招待により皇居で雅楽を鑑賞、光輪閣で晩餐会が行われた

昭和30~40 年代

1955年(昭和30年)

光輪閣にて、財界首脳者招待懇談会を開催

1964年(昭和39年)

三笠宮崇仁親王殿下も参加され「レクリエーション研究懇談会」発足
その後、「レクリエーション学会」に発展 世界レクリエーション大会開催 三笠宮崇仁親王殿下を大会総裁として奉戴

1966年(昭和41年)

第6回日米交歓スクエアダンスジャンボリー開催
三笠宮崇仁親王殿下が総裁としてご臨席

1967年(昭和42年)

第6回日米交歓スクエアダンスジャンボリー開催
三笠宮崇仁親王殿下が総裁としてご臨席

1968年(昭和43年)

アジア・レクリエーション・シンポジウム開催
三笠宮崇仁親王殿下がご臨席

1970年(昭和45年)

三笠宮崇仁親王殿下が日本フォークダンス連盟名誉総裁にご就任

1971年(昭和46年)

アジア・レクリエーション会議開催
三笠宮崇仁親王殿下がご臨席

昭和50~60年代

1975年(昭和50年)

三笠宮崇仁親王殿下の還暦をお祝いする会を開催

1980年(昭和55年)

日本スケートフォークダンス協会発足
三笠宮崇仁親王殿下が総裁にご就任
三笠宮崇仁親王殿下、カール・アラン賞受賞

1982年(昭和57年)

三笠宮崇仁親王殿下が日本スクエアダンス協会総裁にご就任

1986年(昭和61年)

三笠宮崇仁親王殿下の古希をお祝いする会を開催
ジャズダンスをご披露される

平成2年~19年

1990年(平成2年)

三笠宮崇仁親王殿下、日本レクリエーション協会の名誉総裁になられる

1991年(平成3年)

三笠宮崇仁親王殿下、日本レクリエーション協会の名誉総裁になられる

1992年(平成4年)

三笠宮崇仁親王殿下の喜寿並びにフランス学士院碑文文芸アカデミー外国人会員ご就任をお祝いする会を開催

1996年(平成8年)

三笠宮崇仁親王殿下の喜寿並びにフランス学士院碑文文芸アカデミー外国人会員ご就任をお祝いする会を開催

1998年(平成10年)

日本レクリエーション協会創立50周年式典
三笠宮崇仁親王殿下をお迎えして、座談会「レクリエーション運動のあゆみを語る」を行う
三笠宮崇仁親王殿下、「レクリエーション随想録」を出版される

2003年(平成15年)

三笠宮崇仁親王殿下の米寿と百合子妃殿下の傘寿をお祝いする会を開催
「20世紀のレクリエーション運動を支えた人々」をお読みになり、その「おもいでばなし」としてお言葉を賜る

2006年(平成18年)

三笠宮崇仁親王殿下、日本レクリエーション協会の名誉顧問になられる

2007年(平成19年)

W.ニブロさんの想い出を語る会を開催
三笠宮同妃両殿下がご臨席